現代アートの見方を知りたくありませんか?
2023/09/19
皆様「現代アート」と聞くと何を思い浮かべますか?
多分ね、ほとんどの日本人はね、こう思うでしょう。
「意味がわからないモノ」
「お金持ちの戯言」
でもね、それは間違ってはいないモノの、知識が足りないのよ。
惜しい!残念!
今に生きる一人として、もったいないよ。
美術作家と言う存在は、本来ならばカメラが登場した時点でお役御免だったはずなのに、太古の昔から今に至るまで、何故だか存在し続けてる。
そこには今までの先人が築きあげてきた、拗れた自己主張と闘争、苦悩の積み重ねがあるの。
常にアップデートを重ねて、意義と主張を繰り返してきた歴史があるの。
その積み重ねの今が、結晶が、いわゆる現代アートなのです。
今日はそんな現代アートの、とってもガサツで大雑把な歴史・解釈を記載します。
長くてごめんね!時間ある時に、気持ちに余裕がある時に読んでね!
きっと損はしないはずだから。
大昔の美術作家の役割
日本であれば江戸時代、世界であればカメラが登場するまでの間、今で言う美術作家の役割は
「カメラの代わり」
「記録の具現化」
「大名、王室、皇室の肖像画」
等で埋め尽くされてました。
簡潔に言うと、偉い人の注文に応じて、歴史画だったり宗教画だったり肖像画だったりを表現してきた。
それが昔の美術作家の役割だった。
カメラの登場によって
ところが文明がカメラを発明しましたとさ。
多分だけど、当時の美術作家はビビったと思うよ?戸惑ったと思うよ?
だって自分達の役割がえぐられちゃうんだもの。
それはまさしく今!
AIによって自分達の仕事が無くなってしまうのでは!?と、不安に駆られる現代人のよう。
そして当時の作家は考えた。自分の役割と、時代と、全身全霊向き合った。多分。
偉い人からの注文に応じた写実的な表現から、己と向き合って内面を表現し共感を呼ぶ媒体へと徐々に変化していった。
印象派とは
そこで生まれた一つが皆様ご存知印象派。
だがしかし、すぐには認められなかった。
それまでの写実的(陰影を見たママに描くリアルな表現)な作品から一歩踏み出して、自由な色合い、細部まではあえて描かない印象を捉えた表現が、当時の人々からは認められなかった。
印象派の中で女性の裸婦像を描いた作品はこう言われたそう。
「腐乱死体」
はい!?と現代に生きる人であれば感じるでしょう。
ところが当時の人々の習慣、感覚では印象派の表現が意味不明だったのでしょう。
だから比較的自由な色合いで描かれた裸婦のそれは、腐乱死体としか感じる事ができなかったのでしょう。
いやぁ、慣れとは習慣とは、恐ろしいものよ。
でも、時間をかけ、今や印象派は美術史にとって絶対に外せない存在。
懲りずに表現し続けて、印象派の連中は歴史に名を刻む事ができましたとさ。
ピカソとはタイトル
当時の美術作家は様々な表現に挑みました。
その中で今でも有名な一人は皆様ご存知ピカソ。
パブロ・ピカソ。
でも皆思うでしょう?
ピカソの絵って意味不明。
これの何かが美しいの?
と。
ハッキリ言ってね、表面的には俺も全く美しいだなんて思わないよ。
全然好きくない。
ただし!ピカソが認められた原因は、表面的な美しさではない。
彼は「キュビズム」と言う概念を表現し、広め、そして認められた。
例えば、今目の前に写ってる風景。
スマホでもいいよ。今多分この文面を読んでる人のほとんどはスマホ見てるよね?
でも、見えるのはスマホの画面だけよね?同時に側面や裏側は見えないよね。
ピカソは表現しました。
「物事のリアルは目に見えた表面だけではないのでは?」
「側面も、裏側も表現した”キュビズム”こそが、本当のリアルなのでは?」と。
だから見た目は下手くそな展開図のような絵になりましたとさ。
結果その作品点数の多さも相まって彼は存命中に人気作家となり、今でも歴史に名を刻んでる。
話それますが、彼の作品点数は多分普通の美術作家の10倍以上。比喩ではなく本当に。
生涯で14万7800もの作品を産み出したんだって!びっくり仰天ですよ。
普通の作家だったらね、「多くても」年間100点くらいのものよ、大小あるけれど。もっと描く人もいるけれど。
人生例えば100年だとして、20歳の時から描き始めたとして、年間100枚描いたとしたら、人生で8000枚の作品を産み出す計算になります。
繰り返し、ピカソの生涯作品点数は14万7800点だって!
14万7800÷8000は???桁違いにも程があります。
あぁピカソよ、うぅピカソよ。
偉大なるピカソよ。
俺にはひっくり返ってもあたなの作品点数に及びません。
ちょっとムカつくよ。
抽象画の登場
抽象画。
これも多分日本人のほとんどの皆様が意味不明に感じる作品でしょう。
ここまで読んでくれてありがとう!
そして読んで、意味を解釈できた皆様であれば、なんとなく抽象画が生まれた理由もわかりませんか?
そう、抽象画はね、単なる具象ではなく、新たなアートの表現として生み出されたのです。
きっと最初は全然認められなくて、盛大に今で言う炎上・ディスられた事でしょう。シカトされたのかもしれない。
それでも彼ら彼女らは自分の信念主張を押し通して、結果抽象画と言う一大ジャンルを築き上げた。
現代アート以前の美術表現
長ったらしく記載しましたが、ここまで記載した美術作家は結局見た目の表現に右往左往した人たち。
カメラが登場して以来、ただの記録ではなく自己の表現として、あれこれ試して上手くいったりいかなかったり。
それが現代アート以前の美術表現だったと言っても間違いではないでしょう。多分。
間違ってたらごめんね。てへ。
そして現代アートの誕生
現代アートの起源と言われる作品があります。
それはマルセル・デュシャンの作品。
時は1917年。
2023年の今から106年前。
これ、俺は高校の美術史で初めて知った時に思いました。
「意味不明。これだから現代アートはワケわからんのよ。ふざけてんじゃねぇ!大嫌いだよ!」と。
そして今思う。
これはデュシャンの挑戦状だったのよ。
一世一代の?挑戦状、果たし状だったのよ。
考えてみれば分かりません?
それまで美術作家として築きあげてきたキャリアが台無しになる可能性がある、ただの便器。
そのへんで拾ってきたのか買ってきたのか分からんけど、ただの便器。
それにサインしただけで美術館に展示された、どこまで行ってもただの便器。
そして作品タイトルは「泉」
ふざけるのも程がある。
いやぁ炎上しただろうなぁ。盛大にディスられまくっただろうなぁ。
いい度胸してるよ。チャレンジャーだよね。
俺には真似できん。悔しいけれど。
そして便器でデュシャンが主張したかった事は2つ。(と、俺は勝手に解釈してる)
「お前ら作品の中身なんてどうでもよくて、サインだけ見て、誰が描いたのだけ見て、キャッキャウフフしてるんだろう?バーカ!お前らなんて、便器でも見て喜んどけ!サイン書いといてやるから。」と言う盛大なる皮肉。
「いい加減見た目だけで評価するのは辞めにしませんか?価値観を広げれば、ただの便器ですらアートになるのでは?今のアートの意味とは新たな価値観の創出、問題定義にあるのでは?」という問い。
そして今、ただの便器は美術史にとって、絶対外せない存在となりました。
便器が歴史を変えちゃったんだよ。ゲームチェンジャーになったんだ。
現代アートの意義
うーん、長くて自分も書くの疲れてきた。
そろそろ結論に移ります。
今の現代アートの本文とは?
それは見た目だけではありません。
それはデュシャンの便器から始まった
「問題定義」
「新たな価値観の創出、提供」
これってこれからのAI時代にも共通する事が言えませんか?
多分これから、AIによって様々な職業は奪われる。
だがしかし、考え方を変えれば、今まで人間がコツコツとやってきた、ただの作業はAIが代わりにやってくれるの。
AIはね、どこまで行っても計算機です。人工頭脳を持った計算機。
だから誰でもできる、ただの面倒な作業はAIが全部やってくれる未来が待っているのです。
人間様は、AIが叩き出してくれる価値を存分に享受する事ができる。
そうなると、人間の役割は?
それは
「コミュニケーション」
「新たな価値観の創出、提供」
じゃない?
なんだか現代アートのソレとよく似てない?
お金はAIが稼いでくれるよ。
きっとそうなったら、ただの想像だけどさ、ベーシックインカムなんかが当たり前になってさ、新たな価値観の創出を提供して稼ぐもよし!のんべんだらりと人生過ごすもよし!な未来が待っていると、俺は思うんだよなぁ。生きてる間に実現するかどうかは別として。そんな未来を享受したいなぁ。そしたら俺は描くよ描けるよ今まで以上に。
最後に
ここまで長々と読んでくれてありがとうございます。
読んでも意味分からん、という印象から抜け出せない人もいるでしょう。
でも、一人でも、この文面を読んで、現代アートの意味やアート思考なるものの、とっかかりを得られた人がいるならば、この長文を書いた甲斐があると言うモノです。
今日は以上でございます。
また次回!